2005年6月7日火曜日

第一回「読み書きソロバン」

社外の人が書いてよ」という話しになって、スペースを貰いました。
わたしは、機械、ソフトウェア、ネットワークと渡り歩いて来た者です。
ソフィックスの関わる分野やその周辺について書いていこうと思います。

第一回「読み書きソロバン」
江戸時代後半には庶民が寺子屋などで子どもたちの教育を熱心したことは
世界的に見ても珍しいことだったようです。
「読み書きソロバン」というのはこのころの教育の形を示すものです。

読み書きソロバンは実務教育であったのでしょうが、社会的には非常に有用な能
力であって、良くまとめたものだと感心しています。
最近のインターネット掲示板などの表現はパソコン通信が始まったばかりの90
年代前半に比べると明らかに文章の長さが短くなってきています。
中には文章が短いがゆえに喧嘩になる、といった事例も見えるようになりました。
なぜこうなったのだろうか?とネット上で聞いてみたのですが、原因の一つは
キーボード入力が辛いからではないだろうか?という意見がありました。
しかしその一方で明らかに読む能力も落ちてきていて、高校生はとにかくとして
大学生でも難しい言葉が読めないという人をよく見かけます。
キーボードで文章を書くのが大変であれば、キーボードを取り替えるとか音声入
力を使うとか、ネット上であれば自分を表現するために必要な技術が無い、とは
言えないでしょう。
そうなると「表現することがないから」「表現の仕方が分からないから」という
理由で文章が短くなった、という要素も否定できないように思います。
では、文章に代表される自分を表現する能力とはどう評価するべきか?を考える
と「読み書きソロバン」に戻ってしまうのです。
「読むことが出来ないと、書くことは難しい、計算は割と簡単に学べる」と読ん
でみると、大学入試センター試験に代表されるマークシート方式の試験が多くな
りすぎたことが、読み書きソロバンの順序をひっくり返してしまったのでは無い
でしょうか?
やはり「読み書きソロバン」の順序で必要なのでしょう。